岩城滉一、ACコブラを「奥の深道」で公開 | 芸能人の愛車DB
オズマさん 所ジョージさん、岩城滉一さん、梅宮辰夫さん等が コブラ持ってましたね。ヤンチャなイメージがあります。
【旧車】岩城滉一がコブラを運転したら、カッコ良さが異次元だった
コブラです。一般的に1962年から1967年の間に生産されたコブラをACコブラ(オリジナルコブラ)と呼び、AC倒産後に生産されたコブラをシェルビーコブラと呼んでいるようですが、私はコブラについて何一つ知らないも同然なので、画像のコブラをじっくり見てもどのコブラなのかがよくわかりません。
画像のコブラはナンバープレートの分類番号がまだ二桁です。品川ナンバーの分類番号が二桁化されたのは1967年9月からなので、ACコブラの生産時期に重なっています。一方で、分類番号が三桁化されたのは1998年5月なので、シェルビーコブラのほうにも重なっています。それでは中古車サイトに出ている個体とリア画像、例えばテールランプの形状を照らし合わせて当てはまるものを探そうかとなるのですが、実際比較していてもリプロダクションコブラとかコンティニューションコブラとかレプリカとかいろいろと出ているので、素人が画像だけで結論づけるのは困難そのものです。
私がコブラを初めて間近に見たのは2012年の熱海ヒストリカG.P.でした。展示車&出走車として黒光りしていたゼッケン51番のコブラです。凄まじい音を放っていたので印象に残っています。一ヶ月後くらいにその出走コブラが俳優の岩城滉一さんのコブラだったと知って驚きましたが、改めて公式ガイドブックの展示車両一覧を確認したら記載がなかったので二度驚きました。そしてヒストリカG.P.のヒルクライムで優勝していたと知ってまた驚き、レプリカではなく1960年代に生産されたオリジナルコブラだったと知りまたまた驚きました。一通り驚いているので画像のコブラがオリジナルコブラだったとしても驚かないかもしれませんが、希少性を考えたらやっぱり驚いてしまいそうです。
「これでも昔は結構ヤンチャだったんですよ」
いかにも人の良さそうなオジサマたちが、柔和な笑みを浮かべながら、ちょっと誇らしげにそういうのを何度となく聞いたことがある。「ホントは気の弱いガリ勉タイプだったんじゃないの?」と正直な心の声が喉まで出かかることもあるが、それをグッと飲み下す。《ヤンチャ》は男の子らしい男の子だった少年期、若者らしい若者だった青年期を美しく物語る男ならではの言葉の勲章なのだから、下手に否定したりしてはいけないのだ。「へえぇ、そうなんですか?!・・」と多少大袈裟に感心してみせるのがエチケッなんである。
しかし、相手が岩城滉一さんの場合は対応の仕方が異なる。もし、岩城さんが「これでも昔は結構ヤンチャだったんですよ」といったら、そのときは「そうとうヤンチャだったんでしょうね」「リアルに想像できますよ」などと全面的に肯定するか、「昔? いまもヤンチャじゃないですか」「じゃあ今とまったく同じじゃないですか」などとツッコミを入れて茶化すのが正解。
実際、55歳の岩城さんはいまも“ヤンチャ坊主”そのもの。そのヤンチャぶりに年相応の渋さ、男っぽさ、少年らしさが凝縮されて岩城さんの魅力になっている。趣味にもヤンチャぶりがいかんなく発揮されている。
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ハーレー・ダビッドソンのロゴが背中に大きくあしらわれた革のジャケット。細身のジーンズ。先のとがったウエスタン・ブーツ。日頃テレビで拝見する姿とは別人のようないでたちで東儀秀樹さんはあらわれた。
でも、態度、物腰はあくまで優雅で穏やかでテレビで見る印象そのまま。育ちの良さというか、人間としての品格のよさみたいなものを感じさせられる。
話題がオートバイのことに移ったとき、わたしが高校の頃スズキのハスラー50で通学していたというと、東儀さんは「ハスラー50」という言葉にパッと反応し、熱くまくし立てた。
「ハスラーは僕も大好きでした。当時の50ccってタンクとエンジンの間にどうしても隙間ができて格好が悪くなっちゃうのを、ハスラーはすごくうまくまとまっていて格好良かったし、町乗りもモトクロスっぽい乗り方もできる両刀遣いで、僕はあこがれていましたよ。友達が乗っていたハスラーを借りて、多摩川の河川敷でめちゃくちゃ乗り回しましたよ」
東儀さんとの距離がいっきに縮まった気がした。(滝田)
言わずと知れた芸能界の車王。所有する車は常に20台だとか ..
趣味人・岩城滉一 / Lapita | 世界のカタスミで・・・