コブラ Oi Oi Oi CD 初回限定盤 オイパンク YOSU-KO PON
ポン(ラフィンノーズ)とヨースコー(コブラ)によって1992年から1994年まで活動したテクノハウスパンクユニット、COW COW。そのサウンドはシーケンスの限界とアナログの暴力性を兼ね備えた過激なテクノハウスパンク。その一方、時代の移り変わりに反逆するかのような昭和の雰囲気をも漂わせるという幅広いダイナミックレンジによって、ポンとヨースコーならではの名曲の数々を残した。余談だが、「あたりまえ体操」などで知られる人気お笑いコンビ・COWCOWのコンビ名はこのユニットに由来したことでも知られる。
1994年の解散から20年。そして、数年間、音楽活動を休止していたヨースコーの復帰に合わせて全音源を復刻。計3枚のCDにまとめた。
COBRAコブラTシャツ OI PUNK オイパンク ニョロ吉 ヨースコーPONナオキ80s90s
これら計3枚のCDを聴けば、当時ポンとヨースコーが時代の先の先を行き、全身全霊でこのユニットに打ち込んでいたことを感じてもらえるはずだろう。
また、本商品はミニブックレット仕様で冊子の中にCD3枚がパッケージされている仕組み。
ミニブックレットの誌面では当時の貴重なビジュアルと、ポンとヨースコーの知られざる出会い、メジャー期のコブラを突如終結させ、COW COWへ移行した経緯、活動期の秘話、解散に至った経緯の他、2人による全楽曲のセルフレビューで構成。
さらに、前述のお笑いコンビ・COWCOWの善しによるコメントも掲載し、まことしやかに伝わっていた「COW COWの名前継承」の経緯も明らかになった。
一度は大阪に出て、いとこの内装会社の手伝いをしたが、3ヶ月で地元に返されてしまったチャーミー。もう一度、家を出ることを目指して地元でのバイトで金を貯め、父から贈られたギターを持って再び大阪に向かったのは、18歳のときだった。
そんな自由奔放な息子を見守り支えたチャーミーの父とは、どんな人だったのだろうか。
パンクバンドのCOBRAは活動していますか? ボーカルのヨースコの体調
あまり良い思い出のない産みの母はすでに亡くなったが、深く感謝している父と育ての母はいまだ健在で、気仙沼で暮らしているという。
そんな両親に、自分たちのバンドのライブを見てもらったことがあるかと尋ねると、チャーミーの返答はそっけなかった。
COBRA(コブラ)は、1982年兵庫県尼崎市で結成された日本のオイ! (Oi!) パンク・ロック (Punk Rock)バンド。メンバーはYOSU-KO(Vo.)、LINA(Gt.)、、PON(Ba.)、KI-YAN(Dr.)。幾度のメンバーチェンジがあったが、過去にはGARLIC BOYSのLARRYやLAUGHIN' NOSEのNAOKIなども在籍していた。
COBRA (バンド) メンバー YOSU-KO(ボーカル)LINA(ギター) concurrency
OiパンクといえばCOBRA。青春時代にハマった方も多いのではないだろうか。そんなCOBRAのカバーはパンクの盟友THE RYDERSとのスプリットでお互いをカバーしていたり、トリビュート盤もリリースされている。こちらのトリビュート盤も若手から大御所パンクバンドまで総勢20バンドも参加しているのでCOBRAファンは必聴。そんななかおすすめしたいのはドイツのメロディックパンクバンドGigantorがカバーした「Life War」のカバー動画を載せているのでぜひ聴いてみてほしい。そしてこのアルバムにはラフィンノーズや、スターリンのカバーも収録されており日本のパンクファンをくすぐる内容になっている。
プロレス、格闘技の選手へのインタビューをメインにした月刊のムック『KAMINOGE』の大ファンで、毎月、買って隅から隅まで読んでいます。ちなみに、弊社吉祥寺店近くのサンロード商店街にある書店、『ブックス ルーエ』さんは、この『KAMINOGE』の友好店舗でバックナンバーを常設。しかも、オフィシャルで早売りもやってくれているので、自分は毎月、コチラのお店で購入しております。
そんな『KAMINOGE』のVol.37号。プロレスラーや格闘家に混じって、パンクバンド、LAUGHIN’NOSEのベーシストであるPONさんのインタビューが掲載されていました。
とにかく話がおもしろいPONさん。今回のインタビューも名言連発で、大変に心に響いてきたのですが、その中でPONさんが以前組んでいたCOW COWについても触れられていました。
ラフィンのメンバーはPONもだし、コブラのYO-SUKOもだけど、ほんといろんなレコード聴いてたんだろうなーってめっちゃ各所で思う。
COW COWは、PONさんとラフィン脱退後にPONさんが加入したOiパンクバンド、COBRAのヴォーカルだったYOSU-KO(ヨースコー)さんの2人によって結成されたテクノパンクユニット。
<COW COW / オンボロ列車>
ラフィンのオフィシャルYoutubeアカウントに、当時のCOW COWのPVも何本かアップされていました。
こんな感じで、ピコピコした打ち込みに、YOSU-KOさんとPONさんの歌がのるパンキッシュかつポップなユニットです。ラフィンやCOBRAファンの方が聴くと一瞬「アレッ!?」ってなる音かと思いますが、YOSU-KOさんの歌声はCOBRA時代と同じく力強さを携えていますし、PONさんのオシャレで陽性のキャラクターも音に合っていて、コレはコレでカッコ良いです。
そんなCOW COWですが、”カウカウ”と聞いて、現在では多くの人が頭に思い浮かべるのは、このお二方ではなく、よしもとのお笑いコンビ、多田さんと善しさんの“COWCOW”の方だと思います。
実は、お笑いのCOWCOWは、善しさんがLAUGHIN’NOSEとCOW COWの大ファンで、そこからコンビ名を頂戴したというのは、パンク、お笑いファンには有名な話。ボケの多田さん(伊勢丹のスーツを着ている方)に比べると、ちょっと大人しい印象のある善しさんがラフィン好きっていうのも意外なんですが、巡り合わせとしてとてもおもしろいな、と。
元「smart」編集長・佐藤誠二朗によるカルチャー・ノンフィクション連載「Don't trust under 50」。ラフィンノーズのヴォーカル、チャーミーの物語。前回は、62歳を過ぎても年齢を全く感じさせない熱いライブで全国を回り続ける、現在の生活についてお伝えした。今回は、チャーミーを語るために欠かすことのできない存在である2人の大切な男について(全4回の2回目)。
COBRA バンドスコア 3冊セット コブラ ヨースコー ラフィン PON - アート・デザイン・音楽.
僕がその存在を知って虜になった1985年頃のラフィンノーズは、チャーミー(ヴォーカル)、ナオキ(ギター)、ポン(ベース)、マル(ドラムス)という体制だった。
このうち、結成時からのオリジナルメンバーはチャーミーだけだが、結成まもない1982年から参加しているベースのポンは、チャーミーとともにラフィンノーズを形作ってきた主要メンバー。チャーミーにとってはかけがえのない大事な仲間で、無二の友人であることは、ファンの目から見ても明らかだ。
だから、1989年にナオキとともにポンが脱退したときは、「ああ、これでラフィンは終わりか」と思った。その後チャーミーは新メンバーを迎えてラフィンノーズを継続させたが、1990年にはメンバーの1人が暴行事件で逮捕され、マルも脱退。
1991年にはついに解散してしまう。
ポンはラフィンノーズ脱退後、ナオキとともに関西パンクシーン出身のOi!パンクバンドCOBRAに加わり、メジャー展開して人気が高まっていた同バンドのメンバーとして、武道館のステージに立つ。
COBRAは1992年に解散したが、その後もポンは、COBRAのボーカリストYOSU-KOとともにCOW COWというハウスユニットを組むなど、充実したミュージシャンライフを送っていた。
一方のチャーミーはラフィン解散後すぐにソロアルバムをリリースしたが、音楽活動は以前より目立たなくなり、このまま表舞台から去ってしまうかのように見えた。
だが1995年、チャーミーとポンは再び意気投合し、ラフィンノーズの再始動を決意する。かつてのインタビューでチャーミーは、ラフィンノーズ再結成にあたり、「何をやってもいいんだけど、絶対にパンクロックでありたい」という意識を強く持ったと語っている。
コブラ#oi#oiパンク#ヨースコー#ポン#ナオキ#パンク#パンクロック
ブックレットは、PONさんとYOSU-KOさんのお二方へのインタビューと歌詞集で構成されています。歌詞のページには、PONさん、YOSU-KOさんのコメントが載っていたり、当時の秘蔵写真が満載だったり、インタビュー内に出てきたキーワードに細やかな注釈が付けられていたり、PONさんがインタビューで色々とぶっちゃけ過ぎだったり、大変に読み応えがある内容です。
ラフィンを脱退したPONさんがCOBRAに加入し、そこからテクノ、ハウスへと音楽性の幅を広げていく過程が、この一冊を読めば丸分かりに。ラフィン、COBRAファンは必見です(なので、限定版なのが、ちょっと勿体ない……できれば、色々な人に本作が広まりますように!)。
凄いのが、この『COW COW was innocent.』。COWCOW(お笑いの方)の善しさんにもコメントを貰いにいっています。特別寄稿という形で掲載されている善しさんの文章によると、当時、大阪のライヴハウスでDJをやっていたPONさんに若手時代の善しさんが直接「COW COWの名前をください!」と訴え、快諾されたそうです。ただ、その時、PONさんはお酒を沢山飲んでいて、顔が真っ赤だったそうです。
もしも、この時、PONさんがノーと言っていたら、COWCOWというコンビ名はこの世に生まれなかったわけで、凄く良い話だなと思います。パンク、お笑いファン的に。
<COWCOW / あたりまえ体操>
ちなみに、善しさんはラフィンの影響から「リズムやメロディに言葉を乗せる」ということを強く意識してお笑いに取り組んでいるそうです。あの大ヒットギャグ、『あたりまえ体操』の根底にも、ラフィンから受けた影響が流れていると書かれていました。これまた、良い話。
Go to channel · COBRA ☆一夜限り復活ライブ☆ オレたち JIMMY DEEN ≪ヨースコー ポン ナオキ キーヤン≫
1980年代半ばにインディーズブームを牽引し、メジャー移籍後はどんどん大きくなるフィールドで、思うままに楽しんでいるかのように見えたチャーミーだが、自分たちバンドメンバー以外の思惑がいろいろ入ってくる状況に、混乱することも多かったようだ。
再び動きはじめたラフィンノーズは、ポンが主宰する新たなレーベル「Letsrock」をベースに、ライブのブッキングからチケットやグッズの販売、CDジャケットやグッズのデザイン、ライブをする地方への移動や機材の搬入搬出などまで、すべての活動をほぼメンバーのみでおこなうという、純・インディーズ体制を築いた。
それはまるで、チャーミーとポンが大阪で出会ったばかりの頃に戻り、それを心から慈しみ、楽しんでいるかのような動きだった。
音楽性だけではなく、そうしたバンド活動にまつわる諸事の扱いも含め、新生ラフィンノーズがパンクのDIY精神を貫こうとしていたことは明らかだ。
「ポンと初めて会ったのは、19か20のときだから、もう40年以上の長い付き合いになります。それだけ長く付き合うと良い面も嫌な面も目につくけど、俺とポンって同じ方を見て同じ道を進んではいても、言うなれば“背中合わせ”の2人なんですよ。『こっちは俺が守るぜ。だから俺の後ろは、ポン、おまえが守ってくれ』みたいな。なんかそんな感じ。あいつと出会ったのは運命だと思ってるし、普通に『兄弟だな』って思う。気づけばそうなってますね。昔はそんなこと恥ずかしくて言わなかったけど、今はもう、本当にそうなんだなと思うよ」
『コブラ - COBRA -』前野曜子 【スペースコブラOP】バンドカバー
そんな素敵な『COW COW was innocent.』という本。発行元のクレジットを見てビックリ。何と、浜田山にある『デコ有限会社』さんという編集プロダクションが企画、発行している商品でした。
京王井の頭線で、しかも、渋谷寄りじゃなくて杉並、武蔵野寄りに位置する地域に出版社があるなんて珍しいですし、吉祥寺で働いている人間としては何だか親近感。
更に、この会社さんが手掛けた過去の刊行物をホームページで見てみれば、昔、自分が読んでいた音楽系のムックも出していた会社さんだということも分かり、とってもサプライズ。あ~! 高校生の頃、『バリヤバ』読んでた! 読んでた!! あ~! 『別トータス松本』(ウルフルズのトータス松本さんが雑誌で描いていた漫画をまとめた本)、ウルフルズファンの従姉妹が持ってた! 持ってた!! このプロダクションさんが関わってらっしゃったのか! と、当時の思い出にCOW COWきっかけで邂逅し、巡り合わせっておもしろいものだな、とシミジミ。
そんなデコ有限会社さんによる『COW COW was innocent.』。愛情と情報がタップリと詰まった一冊になっています。コレは、本当に素晴らしい仕事だな、と心から感心。これで、5,300円は物凄くお得感があります。
そんなこんなで、浜田山にある出版社、デコ有限会社さん。ホームページを見てみれば、音楽好きならばきっと気になる本が見つかるかと思います。興味がある方は、是非一度チェックを。そして、COW COWのCDもこれまた興味がある方は一度聴いてみていただければと思います。
それにしてもPONさんは、カッコ良いなぁ……。
COBRA ☆一夜限り復活ライブ☆ オレたち JIMMY DEEN ≪ヨースコー ポン ナオキ キーヤン≫
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