スーパフォーマンス製『シェルビー・デイトナ・クーペ』を取材しました。 ↓以下はスーパフォーマンスの公式HPからの転載です。


多くのクルマ・マニアの羨望を集めてきたシェルビー・デイトナは、過去に少なくないレプリカが作られてきた。公式に認可を受けた、コンティニュエーション・モデルも存在する。だが、今回の例ほど見事な例はこれまでなかったと思う。


ラジコン First Mini-Z シェルビー コブラ デイトナ クーペ

1960年代に作られた、伝説的なレーシングマシンのナンバー付き車両を、公道で運転するという貴重な機会が新年早々やってきた。復刻版とはいえ、歴史的なモデルを直接的に体験できることなど滅多にない。

シェルビー コブラ デイトナはアメリカ車がヨーロッパの強豪メーカーを打ち負かすという歴史的な偉業を成し遂げた車として、自動車史に名を残しています。

1/24 グンゼ改造 シェルビーコブラデイトナクーペ 製作開始

通常の赤色とは異なり、京商オンライン限定販売のコブラ デイトナは特別色のクロームを纏った仕様。

オリジナルのシェルビー・デイトナは、空力特性に優れる250 GTOへ対峙するため、ロードスターのシェルビー・コブラをベースに生み出された。キャロル・シェルビー氏が、より高い最高速度を求めて。

グンゼのデイトナコブラを久しぶりに手に入れました。高校生くらいの頃、新製品で買って作ったキットです。ヤフオクで購入しました。

1965年にデイトナ2000km、セブリング12時間耐久などに出場したゼッケン12号車のマシン

まだ制作中で色も塗られていない工場内のモデル。このクーペの写真を見て、あれ? と思った人はさすが。このマシンはシェルビーの手によってコンプリートされた唯一のディトナコブラで、他のモデルはすべてイタリアのカロッツェリア・グランドスポーツの作品である

シェルビー・デイトナ・コブラ・クーペのエンジンサウンドです! アメ車特有のV8 SOHCの排気音もイイですね.

ファーストミニッツシリーズのシェルビー コブラ デイトナ (京商オンライン限定クロームモデル)は、操縦したすべての人がラジオコントロールの醍醐味を満喫できるように『新リアルドライブ機構』、『モード切り替え』、『自宅でタイムアタック』という3つのポイントに重点を置き、他のトイR/Cとの差別化を図っています。
また、シャシー本体には走行時の衝撃を吸収する前後サスペンションや、しっかりと路面をつかむゴムタイヤを装備し、 前後左右フルファンクションの『新リアルドライブ機構』と相まって自分の意思に忠実かつ安定した走りを約束。観賞用としても楽しめる完成済みボディは中々の出来栄えです。初めての1台として、さらにはトイR/Cからのステップアップとしても最適なファーストミニッツで、楽しいR/Cライフをスタートしてみませんか?

その指示を受けたシェルビー・アメリカンの技術者、ピート・ブロック氏は、基本的にコブラと同じパッケージングをベースに流麗なクーペボディをデザイン。コーダトロンカ・スタイルのテールを備え、空気を滑らかに受け流しつつ息を呑むほど妖艶だった。


1965 シェルビー コブラ デイトナ クーペ ブルー #98 1:18

このアイディアは見事に結実し1964年のル・マンでは宿敵フェラーリ250GTOを打ち破り、総合4位、GTクラスのウィナーとなった。そんな貴重なマシンがチャンピオンを取った翌年の1966年に日本へとやって来たのである。第3回日本グランプリに突如として姿を現したデイトナクーペは、酒井 正(敬称略、以下同)のドライブで雨の予選こそ最下位に沈んだものの、スタートでその大排気量のパワーを活かし、ストレートで一気にトップに躍り出た。その後2位を走るもまだまだハイパワーマシンを御しきれなかったのか、レースではエンジンを壊してリタイアしたが、そのスピードの片鱗はたしかに見せつけた。

北米では シェルビーコブラなどを復刻盤として 新車で製造販売されています。 ..

当時のグランプリの公式プログラムがある。しかしエントリーリストに酒井 正の名も、またデイトナコブラの名もないレース出場車として紹介されていたのは三保敬太郎のエントリーしたACコブラロードスターの写真が掲載されているが、これは出走していない。酒井はグランプリのエントリー締め切り1カ月前というタイミングで出場を表明したそうで、プログラムの作成には間に合わなかったということであろう。

1/24 グンゼ改造 シェルビーコブラデイトナクーペ 完成!

まあ、スポーツカーと言ってもほぼレーシングカーという方が正しい。当時同じカテゴリーでレースをしていたのがフェラーリ「250GTO」。これを打ち破ってのチャンピオンなのだから価値がある。もともとロードスターのACコブラ(ハードトップ付き)でル・マンにエントリーしたシェルビーは、長い直線のトップスピードがフェラーリより劣ると判断し、当時シェルビーに在籍していたピート・ブロックに空力性能に優れたクーペボディのデザインを指示。結果出来上がったのがこのクルマだ。

クルマお宝話(18) デイトナ・コブラ · 1161_2 · 1162_2 · 1163_3 · 1164_2 · 1165_2

8台作られたパンテーラGr.4のシャシー番号は、02860、02858、02859、02861、02862、02872、02873、02874で、02874を除いてルマン24時間耐久レースやスパ・フランコルシャン1000km、ジロ・デ・イタリア、モンツァ1000kmなどの国際格式のモータースポーツに投入されている。

設計図は一緒!シェルビー コブラ デイトナ クーペ 50台限定発売!

今回ご紹介するのは「デイトナコブラ」というクルマである。正式名称は(シェルビー デイトナ クーペ)と呼ぶようであるが、ロードスターの「コブラ」をベースにクラスのスポーツカーに仕立て上げたもの。年のマニュファクチャラーズのチャンピオンを獲得したマシンでもある。

ウォン警部のブログ記事「シェルビーコブラ・デイトナクーペCSX9000」です。

モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。第14回目はトミタオートから購入したシェルビー「デイトナクーペ」を振り返ってもらいました。

伝説的マシンが527psで復刻 シェルビー・デイトナ・コブラへ試乗 エンジンはGMのLS3 | 車の話

今回、アメフェスに姿を見せた02874は、パンテーラGr.4としては最終生産車であり、1973年のジュネーブモーターショーに出展された過去を持ち、製造された8台の中で唯一モータースポーツに参戦歴のないマシンだ。Gr.4としてのスペックを持ちながらロードゴーイングカーとして仕立てられており、過去ナンバープレートが付けられていたこともある。WWRJは同車に徹底的なレストアを施しており、新車のコンディションを今に残すパンテーラGr.4だ。そうした意味でも貴重な存在である。

ブログ:シェルビー コブラ デイトナ クーペ用スターターモーター

このパンテーラGr.3をベースに、FIAグループ4(特殊グランドツーリングカー:500台以上生産した2座席以上のクローズドボディ車)規定に基づいて同じ年に製造されたのがパンテーラGr.4で、製造はフェラーリのレーシングカー製造に経験を持つ英国人エンジニアのマイク・パークスが担当した。

京商 ミニッツ オートスケール シェルビー コブラ デイトナ クーぺ レッド. 17,000円.

翌1965年はワークスカーとしてガーズマン・ブルーのシェルビーアメリカンカラーに塗られ、2月のデイトナで総合6位入賞。3月のセブリングでも13位完走を果たした。ル・マンは欠席し、1965年はニュルブルクリンクに出場している(この時は12位)。

GT7 シェルビー コブラ デイトナクーペ 1964 ラグナ・セカ PS4

開発当初からパンテーラはモータースポーツへの参戦が考慮されていた。最初に開発されたレーシングモデルは、1972年に登場したプライベートカスタマーチーム用に製造されたGr.3で、およそ30台が製造された。このモデルは当時のFIAグループ3(量産グランドツーリングカー:1000台以上生産した2座席以上のクローズドボディ車)規定に従って、市販車両に6点ロールケージやレーシングバケットシート、消化器が追加され、強化カムシャフトと10Lに容量を拡大したオイルパン、ホーリーレーシング4バレルキャブレターなどのレース用パーツが追加された。

RCカー「シェルビー コブラ427 S/C」と「デイトナ」のクロームカラーが京商オンライン限定発売

じつは2022年夏にこのクルマはアメリカのオートオークションに出品されており、出品目録にあった写真と展示車を見比べると、車体に入ったゼッケン番号以外はまったく同一の車両であった。おそらくは展示車両はこのオークションで落札されたか、落札後にオーナーから購入した上で日本に輸入したのだろう。

2017年にコレクションとして追加、憧れの「デイトナ・クーペ」を入手!大分県の ..

ウォルター ウルフ レーシング ジャパンでは、シェルビー・クーペやパンテーラGr.4のほかにフォード・モデルT・ロードスターピック(ピックアップトラック)ベースのTバケットやモデルAロードスターなども展示された。

温たまさんのコレクションに最近になって加わった一台がコブラ・ディトナ・クーペだ。

後日、資料を漁ったことで謎は解けた。この車両のシャシー番号はおそらくはCSX2469だろう。その出自は1990年代前半にオリジナルのコブラ・ロードスターをベースにシェルビー・デイトナ・クーペへと改造された車両のようだ。ただし、製造はキャロル・シェルビーの監修の元、彼のパートナーであり、コブラの専門家でもあるマイク・マクラスキーが手掛けている。どうやらシェルビーが自分用に作ったマシンらしい。

シェルビー デイトナ クーペ SHELBY DAYTONA COUPE

果たして、シェルビー・デイトナは1965年のFIA世界選手権へ参戦。 セブリング12時間レースやル・マン24時間レースでは、クラス優勝を掴んでいる。製造数は僅かに6台。近年の取り引き価格は10億円を超えるというレアぶりだ。